自己紹介とブログの目的
2014年02月02日
たけさん at 14:06 | Comments(0) | 飲食生同
自己紹介
私、武田雅成は「タケダ産業株式会社」の会長に就任したこともあり
元日に、菩提寺である曹洞宗の大徳寺に家内と2人でお参りし、
家内安全と商売繁盛、今まで取り組んできた事業が発展することを誓いました。

本殿に上がってお参りをしたのですが、そこにいたのはたった2人。
時間が8:30分と早いこともあり寒さも厳しかったのですが、身が引き締まり素敵でした。
お参りしながらフッと頭によぎったのは
65歳になった自分はどんな人生を生きてきたのか?
人生の夢は何だったのか?
初心忘れるべからずと言うが自分はどんな志のもとに生きているのか?
ということで正月の間、改めて今までの事業を振り返りながら思い出してみました。
私は、昭和23年長野県佐久市に生まれました。
中学卒業と同時に故郷を離れ大阪の「松下電器工学院」で3年間学びました。
何事にも前向きに取り組む性格で無事卒業、そのまま一流企業に就職し、週休2日のサラリーマン生活を何不自由なく横浜で楽しく過ごしていました。
23歳まで横浜でサラリーマンをしていましたが、親の会社(タケダ産業株式会社)を引き継ぐために佐久市に戻ってきたのです。
佐久市に戻ってからは20代で地元の民謡保存会に参加したのを皮切りに佐久青年会議所入会・佐久平物産振興会の設立等と地域貢献の活動をしながら会社経営を続けてまいりましたが、バブルの崩壊後45歳で業種転換を図り現在の飲食店「お食事処 ととろ亭」の経営に専念しております。

振り返りますとこの不況経済の中でよく持ちこたえているな~と、改めて感激している自分がいました。
オイルショック、バブルの崩壊、リーマンショック等様々な危機がありましたが、何とか乗り切ることができました。
現在はデフレ経済脱却をアベノミクス中心に進行中ですが、まだまだ予断は許されません。
そんな時代を、私は生きてきたわけですが、何が幸いしたのか考えてみますと開店して直ぐに料飲組合に所属し役員さんから色々な事を学び取れたこと。
また飲食生同組合の重要性や飲食店のあり方を感じ取りながら、役員を仰せ付かったことかもしれません。
前の事業からの知人も多かったので、程なく佐久中央料飲組合長を仰せ付かり、長野県飲食業生活衛生同業組合の佐久支部役員、そして県理事と活躍の場を与えられ数年前より佐久支部長就任、更に県の副理事長に就任し現在に至っています。
副理事長就任後、長野県飲食業生活衛生同業組合のホームページ委員長として、団体の活性化と組合員の経営安定化を図るべく組合の活性化をメインに取り組み、その一環として組合のHPを立ち上げると共に、キャラクターの制作等を通し組合の認知向上を図り、活性化にも貢献できるようPR活動をして一年が経過しました。
現在は事業委員会の委員長として更に「飲食生同だより」も手掛けています。
これらの経験を通じ皆様にも生かしていただくことがあるのではないかとブログにてお知らせしようと思いたちました。
同時に組合の情報も解説していくつもりですのでご期待ください。
長野県飲食業生活衛生同業組合
事業委員長 武田 雅成
私、武田雅成は「タケダ産業株式会社」の会長に就任したこともあり
元日に、菩提寺である曹洞宗の大徳寺に家内と2人でお参りし、
家内安全と商売繁盛、今まで取り組んできた事業が発展することを誓いました。

本殿に上がってお参りをしたのですが、そこにいたのはたった2人。
時間が8:30分と早いこともあり寒さも厳しかったのですが、身が引き締まり素敵でした。
お参りしながらフッと頭によぎったのは
65歳になった自分はどんな人生を生きてきたのか?
人生の夢は何だったのか?
初心忘れるべからずと言うが自分はどんな志のもとに生きているのか?
ということで正月の間、改めて今までの事業を振り返りながら思い出してみました。
私は、昭和23年長野県佐久市に生まれました。
中学卒業と同時に故郷を離れ大阪の「松下電器工学院」で3年間学びました。
何事にも前向きに取り組む性格で無事卒業、そのまま一流企業に就職し、週休2日のサラリーマン生活を何不自由なく横浜で楽しく過ごしていました。
23歳まで横浜でサラリーマンをしていましたが、親の会社(タケダ産業株式会社)を引き継ぐために佐久市に戻ってきたのです。
佐久市に戻ってからは20代で地元の民謡保存会に参加したのを皮切りに佐久青年会議所入会・佐久平物産振興会の設立等と地域貢献の活動をしながら会社経営を続けてまいりましたが、バブルの崩壊後45歳で業種転換を図り現在の飲食店「お食事処 ととろ亭」の経営に専念しております。

振り返りますとこの不況経済の中でよく持ちこたえているな~と、改めて感激している自分がいました。
オイルショック、バブルの崩壊、リーマンショック等様々な危機がありましたが、何とか乗り切ることができました。
現在はデフレ経済脱却をアベノミクス中心に進行中ですが、まだまだ予断は許されません。
そんな時代を、私は生きてきたわけですが、何が幸いしたのか考えてみますと開店して直ぐに料飲組合に所属し役員さんから色々な事を学び取れたこと。
また飲食生同組合の重要性や飲食店のあり方を感じ取りながら、役員を仰せ付かったことかもしれません。
前の事業からの知人も多かったので、程なく佐久中央料飲組合長を仰せ付かり、長野県飲食業生活衛生同業組合の佐久支部役員、そして県理事と活躍の場を与えられ数年前より佐久支部長就任、更に県の副理事長に就任し現在に至っています。
副理事長就任後、長野県飲食業生活衛生同業組合のホームページ委員長として、団体の活性化と組合員の経営安定化を図るべく組合の活性化をメインに取り組み、その一環として組合のHPを立ち上げると共に、キャラクターの制作等を通し組合の認知向上を図り、活性化にも貢献できるようPR活動をして一年が経過しました。
現在は事業委員会の委員長として更に「飲食生同だより」も手掛けています。
これらの経験を通じ皆様にも生かしていただくことがあるのではないかとブログにてお知らせしようと思いたちました。
同時に組合の情報も解説していくつもりですのでご期待ください。
長野県飲食業生活衛生同業組合
事業委員長 武田 雅成